蠍座アヌラーダーとハンニバル 2

Hugh Max 再び

引き続き、蠍座アヌラーダー・テイスト香る
『ハンニバル』について
なぜ私がFBIアカデミー講師のウィル・グレアム(ヒュー・ダンシー)を
アヌラーダー持ち(もしくは魚座味強)と感じたかについて
熱く(長文ご容赦!)語ることで
解説していきたいと思います。

※マッツ・ミケルセンとインド占星術、及びアヌラーダーに関しては
 本サイトのインド占星術と蠍座を、

 『ハンニバル』に関するレビューは
 MADS MAX 4をご覧ください。


ヒュー・ダンシーは
バーバリーのモデルをしていたほどの美男子です。
しかも西洋占星術だと双子座生まれなので、
軽やかに移り行くタイプ。
このタイプは私とはねじれの位置で(…)
通常私のレーダー(もしくは嗅覚)には
ほぼ引っかかりません。

というわけで、マッツ沼に堕ちるまで
(『ハンニバル』を見るまで)
私は彼の存在すら知りませんでした(…猛省😓)

それだけでなく、
若い頃は英国の古典劇(ドラマ)中心だったし、
ハリウッド映画に進出してからも
『ブラックホーク・ダウン』(2001)や
『キング・アーサー』(2004)など
容姿の美しさを隠すような殺伐とした役か
逆に、容姿を存分に生かしたお伽話の王子様や
『アン・ハサウェイ 魔法の国のプリンセス』(2004)
ラブコメ&ロマンスのヒロインの相手役など
『ジェイン・オースティンの読書会』(2007)
『お買い物中毒な私』(2009)
ファンシーな魚座の匂いはしても
(そう言えば欧米のファンには ”Fancy Dancy”と
 呼ばれていたようです…www)

蠍は全く香らないポップなふわふわ妖精の世界で活躍していました。
・・・今となってはそれもまた素晴らしい魅力なのですが、
如何せん、蠍味が皆無だと
私の「水の男アンテナ」ではキャッチできず……

正直のところ、
日本での知名度が低いのも事実です。
実際、海外の映画スターを取り上げている
『Movie Star』(INROCK)でも
『ハンニバル』(と今年公開の『ダウントン・アビー』)以外で
ヒューのインタビューが掲載されたことはないようです。
(ホロスコープを見て感じたのですが、
ヒューは土星が効いているように思うので、
容姿の割に地味で抑え目な印象を与えているのかな、と。
だから、若い頃から古典劇と相性が良かったのかも知れません。)


しかし、ヒューの作品を辿ってみると、
あっさり軽やかな風象星座が強い俳優ならば
決して演じないような、
いえ、たとえ演じても違和感が強くて心に響かないような、
こってりねっとりハードな役も
全く違和感なく(ギョッとするくらい心に刺さる!)見事に演じています。
ex.『スリーピング・ディクショナリー』(2002)
 『エリザベス1世 愛と陰謀の王宮』(2005)
 『美しすぎる母』(2007)
 『The Path』(2016-2018)

 ・・・メラニー・グリフィスの若いヒモ役『ラブ&クライム』(2003)、
 人狼と恋する『ブラッド・ウルフ』(前出)も上記に準ずる
 水水しい(瑞々しくはない www)作品です。

 大大大好きな『恋する宇宙』(2009)も
 アスペルガー症候群の天才的頭脳を持つ青年を描いたと言う意味で、
 ラブロマンスではあるけれども異色の、胸に染みる佳作でした♪


こういった作品を見たあたりで、
私は「水の男」疑惑
ヒュー・ダンシーに抱きました。

さて、『ハンニバル』に戻りましょう。

ウィル・グレアムは、エンパスです。

 エンパス(empath)」とは、「エンパシー(empathy)=共感、感情移入の力」とも呼ばれる、「共感力、共感力の高い人」という意味の言葉です。
人並みはずれて共感力が高く、生まれながらにして人の感情やエネルギーに敏感な気質の人をそう呼びます。
 エンパスには、しばしば近くにいる人と同じ現象がその身に起こります。
例えば、「相手の体調が悪いとき、自分も同じような症状で具合が悪くなる」「相手の感情が、自分の感情のように感じられてしまう」など。

新宿ストレスクリニック「医療と心の話」>「エンパス(empath)とはより)

ウィルは、このせいで生きづらく、
FBI捜査官を目指したものの試験で落とされましたが、
類稀な頭脳を惜しまれ、
FBIアカデミーの講師をしています。

シーズン1(以下S1)の初期のウィルは
人より犬と話す方が気楽で、
人と目を合わせず、おどおどしていました。

思うに、
エンパス自体が水象星座と深い関わりがあるのではないかと。
例えば、植物は何種類もの物質を組み合わせて発することで、
いわゆる「会話」をしているわけですが、
水象星座の人々も、
「水の気」を放出しているように感じられるんですよね。
…… 個人的な印象ですが(アヌラーダー・ラグナのね)、
敢えて言語化するなら
「しっとりした」風情が彼らから匂い立つんです。
水も滴る……とでも言いましょうか。
その「水の気」で対象に入り込み、諸情報を感受しているような。
『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド使いをイメージしていただくと
わかりやすいかもwww


そして恐らく、水象星座が深く傷つく配置があると、
「程度」「人・物との距離」が計りにくくなり、
強すぎる共感力になって現れてしまうのではないかと。
これに関しては、
KNラオ先生のBVB(※)のリサーチ部門に
研究成果があるかもしれませんし、
そうでなければ今後の調査結果を待ちたいところです。
(※ バーラティーヤ・ヴィディヤー・バヴァン。
 BVBに関しては清水俊介先生の
世界最大の占星術学校をご参照ください。)


そんなウィルがハンニバルと出会い、関わることで
現実も人生も世界観も天地と表裏がひっくり返ったような
革命的な変化が起こります。
ウィルと、彼の周囲の人々すべてに。
(そして、見ている私たちに)

当初、ウィル・グレアムについては普通の(どの程度かは不明)
捜査員設定もあったようです。
ハンニバル役にマッツが決定する以前でしょうか?
恐らく、相手役がマッツでなければ、
ヒューの演技力なら「普通のFBIのウィル」
成立したでしょう。普通の捜査ドラマとして。

しかし、ヒューがマッツをハンニバル役に推薦し、
脚本・監督総指揮のブライアン・フラーも
(本当はブライアンの星も見てみたいところ!)
熱心に上層部に働きかけたお陰で、
ハンニバル役にマッツ・ミケルセンが決定し、
星々の(カルマの)輪が回り始めたのでしょう。
アヌラーダーのラーフ(とケートゥ)を持つ二人の主役によって、
『ハンニバル』は世界を巻き込み

2015年のS3終了後の、2022年の現在に至ってもなお、
S4を切望する熱狂的なファン(Fannibal!)を持つ
驚異の作品となったわけです。
(Twitter を覗けば世界のFannibal達は今日も楽しげに
 ハンニバルとウィルの美しい(…血塗れの…)イラストや画像を
 アップしてくれています! )


マッツとヒューのハンニバルとウィルに関しては、
「化学反応」と言う言葉がよく使われます。
二人の演技が呼応し、相乗効果を呼び合い、
得体の知れないものたちが
どこかわからない彼方まで進もうとしていくーーー
それは、私たちがこれまで見たことのない世界で、
映画で描かれた有名なアンソニー・ホプキンスのハンニバル世界とも
また異なるものでした。

そうそう!
A・ホプキンスは
ヒューと同じくラーフをアヌラーダーに持っているようです!

(インド占星術 はやたともみ
 「アヌラーダー・ナクシャトラの独自解説」参照)

その意味で言えば、『ハンニバル』は
まさしく「二人のハンニバル」が
(一人はヒュー・ダンシーという皮を被り)
最初から存在していたと言ってもいいのかも知れません!


そう考えれば、
「堕天使・ハンニバル」(マッツの解釈)が
自分と同じ世界の存在であることをウィルに伝えるため、
人間の常識ではあり得ない手法で、
ウィルを目覚めさせていく物語が
ハンニバルの側に流れ、
一方、FBIのコンサルタント的役割として
連続猟奇殺人事件を解決していくという
ウィル=人間の側の物語が
綯い交ぜになりながら進行していた、と
見ることができます。

この、交わりそうにない次元の違う世界が、
マッツとヒューにより、
(二人のハンニバル=アヌラーダーのラーフとケートゥ により)
現代のアメリカ・ボルチモアなのに
二人のいる場所だけ、どことなく欧州の典雅な香りを放ち、
或いは時のないどこかに変わる瞬間があって、
あらゆるものが行き交うことのできる時空が
現出したのかも知れません。
考えてみれば、本当は
二人とも欧州人なんですよね!


トマス・ハリスの独自の美意識に彩られた芸術的な世界観は、
(ブライアン・フラーに脚色され)
流動的なリアリティを生きるウィルが
多層で多様な世界を行き来しながら
同種か異種か特定できないハンニバルに
同種認定され、
共に生きる道を強いられる物語に
ゆっくりスライドしていった、と。

人間の側の言葉で言い換えれば、
ウィルのエンパスとしての才能は、
どの世界に対しても開かれ、
共鳴することのできる特異なギフトだったことが
やがてわかっていくわけです。

血とチョコレート

この、多種多様多層の世界を
流動的に行き来できるのは、
風ではなく、水です。

なぜ『ハンニバル』の世界でそれが「水」なのかというと、
元となっている人間の世界と
異種異様異層の世界とを結びつけているのが
「血」だから。

ヒューに「水の男」疑惑→仮認定したのは、
『ハンニバル』のオーディオコメンタリーで
ヒューは、血塗れになるのを厭わなかったことや、
多量の血にすっかり慣れて
他の作品で出血するシーンがあった時
(恐らく『The Path』S1 – Ep1)
「血が足りない!バケツいっぱい持って来い!」と
言ってしまったらしいから、でした。
血(糊)を浴びることにも血塗れ姿であることにも
「馴染む」質がある人だとわかったせいです。
風象星座が強ければ、
恐らくこの感覚は生じないはず。
「浸る」「染みる」「馴染む」…
これらは全て「水」の性質ですが、
ヒューはこれらの状況と見事に和合していました。

そして、ごく最近知ったことですが、
S2のラスト(ウィルがハンニバルに刺されて血塗れになる)について、
ヒューはこんな風に語っていました。
「あのシーンは(中略)ある種楽しかったですね。今シーズン<S3>の終わりと同じように、たとえただの暴力であっても、ウィルとハンニバルの間でも僕たちが伝えようとしている内なる物語にとても相応しい結末だと感じました。」
「僕はそうなることは分かっていたし、実際にそれに抵抗もしなかった。彼は僕を刺した。なぜなら僕がなんとか彼の泣きどころ、彼の脆弱な部分に辿り着くことができたから。そしてその切り裂きにつながるのだけれど、僕はブライアンにいつもこう言っていたのを覚えています。僕たちはこうなることは分かっていたから。僕にとって、それは一種の完成形
[consummation] のように感じる、と。そう、僕はこれは起こらなければならなかったと分かってる。それが唯一これを終わらせる方法だった。そしてそれは、僕の中のある部分がそれが起こってほしいと思っていた方法なんです」
2015.08.29公開のヒューのインタビューより。
 Twitter:Nori@Will_Lecter2013 2022年11月17日 参照。
 Noriさんの和訳をもとに少しくだけた表現にしました。)


このインタビューの中で、ヒューは
時にウィルであり、時にヒュー自身として” I ”(僕)を
使っているのが興味深いのと、
残酷で、溢れる血に埋まっていくようなシーンにも拘らず、
ヒューもマッツもそれを物語の展開として望み、
受け入れていたわけで、
あんな状況を、ある種好んで演ずることができるのは、
蠍座 …… の中でも表裏を自在に使い分けられる
アヌラーダー以外にないだろう、と感じたわけです。

更に、S3のラスト(レッド・ドラゴンを二人で斃し、
抱き合いながら崖から大西洋に落ちる)
については、
次のように語っています。
「僕は制作総指揮のブライアン・フラーとそれについて何度も話し合いました。最後に崖から落ちる動機はウィルの気づきでなければならない。この出来事が起こったと言うだけではなく、彼がそれを愛していると言う気づき。単に”オーマイゴッド、僕はなんてことをしてしまったんだ……ああ、とても恐ろしい”、と言うのとは対照的にね。それはそんなものではない。”これは美しい” んです」
(和訳引用元:Nori@Will_Lecter2013 前掲Twitter)

アヌラーダーには独自の美意識があります。
あのラストでウィルが「美しい」と嘆息する、
と思うヒューの感性こそが、アヌラーダー。
このセリフは、ブライアンから「ウィルならなんと言うか」と
問われて、ヒューが答えたものだったそうですが、
彼以外なら、その言葉は出てこなかったことでしょう。

インド占星術では、真向かいのナクシャトラは似た性質を共有する、
とされるそうです。(はやた 前掲サイト参照)
食と美的センス溢れた牡牛座ロヒニーの影響を受けてはいるものの、
それが「独特」のものに変わるアヌラーダー。

ヒューの言葉には、次のようなものもありました。
(S4の可能性について語る中で)
「実際に考えてみると、ハンニバルが本当に死ぬと信じるのは難しいと思います。なぜなら、彼は正確には死ぬべき運命にないからね。それに、個人的には、もしハンニバルが生き延びようとするなら、彼はウィルを助けるだろうと思うんです。だから、わからないけれど、ただ、彼らはどこかのビーチにいると言っておこうかな。」
(ただ、ビーチで寛いでいる?)
「そう。ただビーチでダラダラしてる。ココナッツから何か飲んでるかも。頭蓋骨からでもいいね」

(和訳引用元:Nori@Will_Lecter2013 前掲Twitter)

単にハンニバルからの連想で、「頭蓋骨」と言ったのかも知れませんが、
完全に、ヒューは『ハンニバル』世界を楽しんでいますね。
『ハンニバル』自体、受け付けない視聴者もいるので
演者が受け付けないことはないとしても、
こんなブラック・ジョークが出るのは、
あの世界が楽しめるタイプだったと言うことでしょう。

もう一つは、
勉強熱心で禅や仏教にも詳しいヒューのことだから、
ひょっとしたらチベット仏教も知っていて、
密教法具としての頭蓋骨杯を知っていた、
のかも知れません。

(個人的には、密教に馴染む人は
恐らく、アヌラーダーに星があるか、
アスペクトがあるか、

或いはアヌラーダー・ラグナの人なのではないかと推測しています。)

少しだけ、レーヴァティー

長々と、蠍座アヌラーダー的世界を体現するヒューとハンニバルを
追ってきたわけですが、
最後だけ、アヌラーダーよりむしろ魚座レーヴァティーの特徴かな、
と思われるものを、
またヒューのインタビューから拾ってみます。
「実際、シーズン4の計画がありました。そうなるためには僕たちはなんらかの形で生き残らなければなりません。それはハンニバルの奇跡的なスキルの新たな一つになるのでしょうが。(中略)でも、そう。僕は……ウィルはハンニバルを滅ぼす唯一の方法は自分自身を滅ぼすことかも知れないと気付いているのだと思います。そしてその瞬間、彼の一部、いつも自分の中の闇と戦っている部分は「それがハンニバルを殺す唯一の方法というだけではなく、僕もいくべきなんだ。僕は、本当は僕たち二人を終わらせなければならない」とも考えている。だから、彼はそうしたんです」
(和訳引用元:Nori@Will_Lecter2013 前掲Twitter)

「ウィルは、自分が死ぬこともあると思っていた」と
オーディオコメンタリーでもヒューは語っていました。

例えば、ハンニバルにとっては、
ウィルとともに生きることや、
美しいものを楽しむことが好きなので
「愛のために死ぬ」ことを望むとは思えません。
そもそも、「死ぬ」と言う概念自体が
彼にとってはあまり意味がないものかも知れないし。
『ハンニバル』の中で、ハンニバルが
様々な窮地にあっても、自分の死を恐れたシーンは
ひとつもありませんでした。
マッツによると「ハンニバルは全てを楽しんでいる」からでしょう。
恐らく、死すらも楽しむはずです。
そもそも人間の思うような「死」の概念が
彼にあるかどうかは謎で、
例えば高僧や篤信的なキリスト者のように
「この姿からの解放」と「死」を捉えているだけかも知れません。

では、ウィルはどうかと言うと、
彼はハンニバルよりは人間味がありますが、
ハンニバル化が進むにつれて、先ほど見たような
自分が死ぬかも知れないことを予測し、
それを受け入れるような境地になって行きます。
「ハンニバルとともに生きられず
彼なしでも生きられぬ」

だから、ともに死ぬとしても、そうある姿に進んでいく。

境界線を超えて、全てを受け入れるーーー
これは魚座レヴァティーの示すところです。
「窮地に追い込んで、究極の選択を迫り、人々の潜在意識・本性を炙り出そうとします。善悪の境界線を取り払って全てを融合しようとすることで、周りを試します。」
(インド占星術 はやたともみ
レヴァティー・ナクシャトラの独自解説」参照)


・・・これはむしろハンニバルのことを語っているようですが、
(マッツの出生図D1の魚座に惑星はいません)
だからこそ、S3のウィルの最終的な選択にも結びついていくものです。

ドラゴン退治の後に、目の前に広がる血まみれの世界を
ウィルは「美しい」と感じる、
同時に、それゆえ自分たちをこの世界においてはおけない、と
思う。
自分たちが美しいと感じるものを
この世界が同じように感じはしないことを知っているウィルは、
ともに生き、更に強く深く結びつき合える別の世界に向けて
ハンニバルを固く抱き寄せジャンプした……

そういうことだったのかな、と。

蠍座アヌラーダーは、表裏に通じます。
それは、別の見方をすれば
多様な世界と流動的なリアリティを感受できる能力を持つ、
とも言えるでしょう。
それは、頭蓋骨杯を持つ密教行者の姿です。
魚座レーヴァティーは、境界を超えて融合しようとします。
究極の選択ののち、
真実の自己との邂逅を果たし
一つに融け合うことが至上の
レーヴァティーの世界の愛し方なのでしょう。

余談ですが、(かなり重要かも知れない☺️)
ヒューの双子座太陽とマッツの木星は
3度しか違わない合でした。
因みに、この時のナクシャトラはムリガシラ。
シンボルは、鹿の頭!
…… 鹿男ウェンディゴ〜〜〜🤣
テーマは、世界を楽しい場所にすること
・・・この二人、どれだけ縁があるんだろう🥰🤣

(感謝! herwigclaeys0によるPixabay からの画像 )