MADS MAX 4

『ハンニバル』(2013−2015)

前回、2013年の続きです。
マッツの ハンニバル・レクター博士
FBIアカデミー教官のウィル・グレアム(ヒュー・ダンシー)
主人公に据えた『ハンニバル』が始まります。

トマス・ハリス原作の『レッド・ドラゴン』(1988)で
初登場したハンニバルですが、
同作は、
①『刑事グラハム/凍りついた欲望』(1986年)
②『レッド・ドラゴン』(2002年)
と、2度映画化されたものの、
①ではハンニバルは端役でした。
以前、映画も見ましたが、
私は博士がいたことを殆ど覚えていません….😅
確かにウィルが刑務所に相談(?)に行っていたけれども。
そもそも見た当時は、猟奇殺人者の博士に助言を求めにいく、
という設定自体がまだ受け入れ難くて。

ウィル役はウィリアム・L・ピーターセンという
『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985)で主演だった人。
『L.A.〜』は、殺伐とした刑事ドラマで、
後味が悪かったのを覚えています。

①はW・ブレイクの絵や詩が強烈で、内容も面白くて小説も買ったほど。
但し、ウィルに共感することもなく、
むしろレッド・ドラゴンのダラハイドに
気持ちが向かっていました。

②のハンニバル・レクターは
有名なアンソニー・ホプキンス
ウィルはエドワード・ノートンでした。
ダラハイド役はレイフ・ファインズ…..ヴォルデモート卿です😅
(この映画、私は未見なので連想はHPに流れました…)

ただ、最初にホプキンスのハンニバルが登場したのは、
FBI訓練生クラリス・スターリング(ジョディ・フォスター)を
主人公にした『羊たちの沈黙』(1991)です。
この映画は面白かったし、レクター博士がメチャメチャ怖かったのを
覚えています。

ホプキンスの怪演もあって
ハンニバルは世間に強烈な印象を残して人々を魅了し、
ホプキンスの当たり役となり、
『ハンニバル』(2001)、『レッド・ドラゴン』(2002)
続けて映画が作られました。

彼が「カニバル・ハンニバル」(人食いハンニバル)と
呼ばれるようになった理由ーーー少年ー青年期を描いた
『ハンニバル・ライジング』(2006)が出版されると
翌2007年に同名で映画化もされています。
(猟奇一色ではなく、むしろ日本趣味に彩られた
美しくて悲しい作品です。
一つだけ言えば、ハンニバルの叔母=父の弟の妻で
日本人のムラサキ夫人(広島出身、原爆で家族を亡くす)役を
コン・リーが演じていたのが若干残念🥺
彼女は素晴らしい女優ですが、
出来れば、日本人女優を起用して欲しかった…)

そこで、いよいよマッツのハンニバルについてーーー。

2013〜2015(テレビシリーズ
・ハンニバル (ハンニバル)<ブライアン・フラー脚本・監督総指揮>

2013から始まったテレビシリーズは
各シーズン13話で構成されていました。
シーズン1は、
アペリティフから始まるフランス料理のフルコース、
シーズン2(2014)は、日本の懐石料理、
シーズン3(2015)は、イタリア料理のフルコースを
タイトルにしていました。
そしてこのタイトルが、各話の内容とリンクする
見事な脚本・作品でした。

密林のタイムセールでDVDを各シーズン購入したのですが、
最終話まで見終わった後は
ハンニバルが深い愛情を寄せるウィルヒュー・ダンシー)にも
グイグイ惹かれてしまい、もう二人から離れ難くて
オーディオコメンタリー付きのフルコース・エディション
買い直してしまいました。(割引されてた時で良かった…🥰)
(『HANNIBAL/ハンニバル Blu-ray-BOX フルコース Edition』)

*****************************************************
物語はトマス・ハリスの原作をなぞりながら、時間軸を少しずらし
犯罪プロファイラーでFBIアカデミー教官のウィルが、
類稀な「共感力」を見込まれ
FBI行動分析課長のジャック・クロフォードに
連続殺人事件の捜査協力を依頼されるところから始まります。

犯人の意識に完全に同化してしまう能力故に
いつ本人が凶悪犯の意識に自分を明け渡してしまうかわからない、という
危うさを持つウィルのため、
友人でFBI顧問でもあるアラーナ・ブルームは
彼の状態を支える(鑑定する)精神科医として
恩師のハンニバル・レクター博士を推薦します。
そして、レクター博士の鑑定&カウンセリングを受けながら
ウィルは事件の謎に迫ります。

★… もう不穏です。不穏さしかない。
不穏を知っているのは、視聴者だけです。
マッツは上質のスーツに身を包んだ
知的で紳士的な精神科医として登場。
どこか古風でヨーロッパ的な雰囲気を漂わせるハンニバルは
どことなく … 長く生き続けたヴァンパイヤも思わせます。
もうこれだけで、西洋のヴァンパイヤものを想起させ、
永き時を共に生きる伴侶を見つけ出し、
共に旅立つ話なのではないか
… という気配がしてきます。

マッツはハンニバルについて、次のように語っています
「彼は決して本能的には反応しない。決して追い詰められないし、ストレスにさらされることもない。彼には、私たち他の人間が持っているこれら全ての自然な反応をそれとわからずにする、ということが絶対にないんだ」
「もし彼が瞬きしたり、少し緊張しているように見えたとしても、それは意図されたことだ。そんなふうに、彼はいつも100%制御されている」


それに対する事実上の主人公のウィルは
ずば抜けた知性を持つものの弱々しく自信なさそうな
ハンニバル言うところの「無垢」で、いたいけな印象。
捨て犬を拾ってきては可愛がって飼うような
人より犬と話が合うタイプ。
この儚げなウィルがどうやって(共感力と知性だけで)
カニバル・ハンニバルと戦い続けられるのか、
そこにハラハラし続けます。
ウィルはとても顔立ちが良いのですが、もっさりした印象で
無精髭と服装に頓着しないキャラクターも相俟って
(中の人=ヒューは真逆で服に拘るタイプだとか)
私は彼がとびきりの美男子だということに
途中まで気づきませんでした…😅
しかし、心情的にウィルに寄り添った後で
その「事実」に気づくと
そこには後戻りできない「沼」が … 。
もう『ハンニバル』から逃れることはできません😄

猟奇殺人が続きグロテスクな描写も大量の血のシーンも多いので、
苦手な方は見続けられないかも知れません。
… が、見どころはハンニバル&ウィルの関係性です。
この二人の静かな、寄せては返す波のような親密さに
「共感」できれば、
様々なグロテスクな表現を見ても
特殊メイクや効果を愛でる余裕が持て、
殆ど気にならなくなります。
(… さらに私は、見ている途中で
「意識の転依」が起こった気がしました。
これは後で記します。)


殺人者に成り代わって
犯人と犯行の一部始終を読み解くウィルの決め台詞
”This is my design.”(これが僕の見立てだ!)
がカッコいい。
(….. 途中から言わなくなったのが残念)

カニバル・ハンニバルをタイトルロールにしたドラマですから、
基本的に猟奇殺人事件を追う作品ではあるのですが、
主演のマッツ・ミケルセンとヒュー・ダンシーの
見るものを掴んで離さない魅力あふれる容姿と
呼吸を忘れるほど引き込まれる演技、
さらに二人から立ち昇る濃厚な homoeroticism

また、素晴らしい脚本、美しい映像や巧みな特殊技術のせいで
Fannibal と呼ばれる熱烈なファン
(と、数多の二次創作)を生み出すことになり
現在でも シーズン4 の製作が熱望されています。

■プチ情報■
シーズン3で登場する若き日のハンニバル・レクターの写真は
『UNIT ONE(Rejseholdet)』(2000-2004)
アランの写真を加工したものだそうです。(by ブライアン
ハンニバルの写真は、どこぞの工作員のように見えますが、
アランは刑事なので…ま、公僕の顔、なんですね😂

◆ 個人的な感想と発展的思索
(ネタバラシ含む)←ご注意ください。

ハンニバルとウィル:真珠の歌

シーズン1(以下、S1、S2、S3と略記)では、
ウィルはハンニバルに全幅の信頼を寄せています。
その危うさがわかるのは、視聴者だけです。
ストーリーは基本的にウィルの目線で続きますが、
博士がウィルを鑑定するため、話を聞くうち、
次第にウィルに興味を持ち、
瞳が不思議な色合いで輝いてくるのがわかります。
(マッツ、素晴らしい!)
以来、博士はウィルに対して好意的に振る舞い、
時に料理を作って家までデリバリーし、
(「烏骨鶏のスープ」だそうですが、
実際、何が入っているのかは謎です…)

甲斐甲斐しく世話をしています。

マッツは、ハンニバルがウィルを見た時
「自分を見つけた! と思った」と言っていました。
脚本家のブライアン・フラーは、
ハンニバルは、ウィルが本当の自分に気づいていないから、
彼なりの流儀で(良いと思う方法で)
ウィルに彼自身を気づかせてあげているだけ、
なのだそうです。
マッツは、「ハンニバルは堕天使」と語っていました。
堕天使だとすると、キリスト教の神を頂点とした世界観から
堕ちたーーー著しく外れた存在です。
神の下に人、その下に食物としての家畜、動物 …… という
クッキリしたヒエラルキーを持つ世界観の外にいる存在です。

確かに、ハンニバルは食べる「肉」を牛・豚・鶏…に
限定しません。と言うか
「無礼な人間」を「豚」と呼び、処理して調理します😱
当然、彼に「神」(唯一絶対神)は不要です。
彼の世界には、恐らく
「彼(と彼に似た誰か)」と「彼以外」しか存在せず、
「彼以外」の中で「無礼な豚」と「それ以外」が
あるのではないかと思います。

不思議なことですが、
ドラマの中で余りにも生々しく提示される人体の各部が、
やがて豚や羊や魚 … と同様に
キッチンやディナー・テーブルに並ぶのを見ているうちに、
等しく「肉」じゃないか、という思いが湧いてくるようになりました。
人間だけが、残酷に扱われないという
自然界からすれば恐ろしいほどの差別に
逆に気分が悪くなったんです。
これは、私にとっては見えるものがすべて裏返されたような
世界観の転換でした。

脚本のブライアン・フラーは
この作品や「肉」の提示について
動物愛護の意図があった」と述べていました。
動物を ”Non-human person” として認識するための、
逆説的な提示が、カニバルで示された表現だった
ということでしょうか。
私に限って言えば、それは見事に成功し
暫くの間、「肉」を食べること自体が気持ち悪くなりました。

…… 仏教徒は、衆生(有情)の命を等しく平等と見ますから、
殺して食べることを極力避けます。
そして、なるべく生物の肉を食べないように努めます。
私は、ベジタリアンになるのは自分には難しいと思っていましたが、
もしも根底に、この時感じた、
動物の肉を食べることの吐きそうなほどの気持ち悪さーーー
それは人を食べることに対する嫌悪感と全く変わらない強さでしたーーー
を維持できるなら、可能かも知れないと思い始めました。
(今は、普通に肉も食べます…)

カニバル・ハンニバルに話を戻せば、
彼は、通常の人間とは倫理観が著しく異なるので、
私は、堕天使よりむしろ「異星人」「異次元人」「自然霊」… が
近いのではないかと感じています。
まあ、都市伝説的に言えば、
堕天使と異星人、異次元人はたいして変わりませんが😅
…… 聞くところによると自然霊も、いわゆる「情」がないため
人間とは全く別のルールに従い信賞必罰を行うそうです。

この連想をしていて、
グノーシス思想の「真珠の歌」(Cf.「真珠の歌とマニ教との間」須永梅尾
を思い出したのが
私も熱烈な『ハンニバル』ファンになった大きな理由の一つです。
(他の理由は、マッツとヒューの圧倒的魅力😍)
… 前述した「意識の転依」というのは、
先程の「肉」に対する捉え方と、この歌が表す思想に関わってきます。

真珠を求めて異郷に旅立った王子が、
旅するうち使命を忘れ、眠り込んでしまう。
やがて父王から手紙が届き、王子は目覚めて
ついに恐ろしい龍が守る真珠を取り戻し
東方の光の国へと帰る。その途上で、
自分自身が
実は光の衣装に包まれた存在であったことに気づくーーー

というものです。
グノーシス思想はキリスト教からは異端視され、
この流れを汲む宗派には殲滅されたものもあります。

ただ、グノーシスのバシレイデス派は
チベットに伝わるゾクチェンの教えと関わりがあるのではないか、
という説もあり、
私もこの説には強い関心を持っています。

もともと光の国にいた自分が、
異郷(闇の世界=煩悩にまみれた輪廻の中)を彷徨ううち、
様々なことを忘れてしまいますが、
「父王の手紙」によって「真実の自己=真珠」を探す使命を思い出し、
龍退治ののち真珠を取り戻すと、
真実の、光の自己の姿に気づく…
これはとてもゾクチェン的だな、と。
(純粋なゾクチェンだと「龍退治」は不要ですが、
人には煩悩がつきものなので、
密教的手法も利用した煩悩消除に置き換えて。)

S3 の Ep2 に対するオーディオコメンタリー(以下 AC)の中で、
ブライアン・フラーは、
「(この回は)実現可能なことは全て平行宇宙の中で実現する、
と言う多元宇宙論へと話が広がっている」

と語っています。
Ep2 は、既に死んでいるアビゲイルという少女を連れて、
ハンニバルに刺された傷からやっと回復したウィルが、
ハンニバルの人生を知るため彼の足跡を尋ね、
まずフィレンツェを訪れるところから始まっていました。

また、ブライアンは
「何かを選択する瞬間のすべてが、
新たな宇宙を生むことになり、そこで可能性が実現される」

と語り、ウィルが『シックス・センス』(1999)の主人公のように
亡き人(アビゲイル)と語り合う感傷的なシーンに対して
「多元宇宙論のようなSF的思想の持ち主の視点で見るのは面白い」
とも言い、ウィルに仮託して自身の見方を取り入れたことを
「宇宙のあり方についての興味深い説を
ドラマに持ち込めて面白かった」

と語っていました。
このときヒュー・ダンシーは、
「過去2シーズンの間、彼が頭の中にこんなにぶっ飛んだ考えを
隠してたのが面白いね」

(ブライアンに「それは平行宇宙のこと?」と聞かれ)
「宇宙のことでもあるし、もっとシンプルに死後の世界とか、
その意味することだとか。多元宇宙論もだけど、
彼の精神はものすごく開かれてるよ」
と言うと、ブライアンはそれを受けて、
「確かにそうだね。彼の場合はむしろ、開かれすぎてるのが問題だ。
彼はとても聡明であらゆる思想に対応できる」

と答えています。

ブライアンは、「亡き人を伴走者として旅をする」ことに対して、
「多元宇宙」と表現していたわけですが、
ヒューが、現実と、このウィルにしか見えない世界との演じ分けについて、
「別々の世界があるという感覚があったんだ。
次のエピソード(S3 Ep3)ではリトアニアに居て、
全体的に妄想の中にいるような、なんというか、
前の2話よりもっとぶっ飛んでる」

と感想を漏らすと、ブライアンは、
「ウィルにとっての現実世界はとっても流動的なんだよ」
と語っていました。

そう言った表現を使って良いのなら、
ハンニバルが異次元からの訪問者であっても
おかしくないのかもしれません。
そして、ウィルは、異郷に長く住みすぎて
次元を自在に行き来できる輝く才能すら、
心を壊すかもしれない「共感力」として
自分でも持て余し、周りも腫れ物扱いするものでしか
なくなっていたのかもしれない。
ただ、ハンニバルだけが彼の「真珠」を見いだし
異次元人の流儀で、
ウィルに、真実の自己に至れるよう
導き続けていた、という見方も
出来るようにも思いました。
異次元人の善悪は、この世界の人間の価値判断とは
全く別物です。

異次元人なら、美しくあるべき世界に、
ぶざまにのさばる「無礼」な生き物を
ひとまず「豚」と名付けて食べてしまうことに、
なんの躊躇いもないのでしょう。
(マッツによれば「ハンニバルは美しいものが好きなだけ」だとか。)
それは美しく生きようとする「人」に分類できる生き物ではないから。
食べることによって、美しい世界に醜く存在するお前を「許す」。
(ハンニバル:「(裏切った)ウィルを許すのは食べる時だ」in S3)
彼はそう考えているのかも知れません。

仏教(とゾクチェン)では、豚は貪欲の象徴です。
ハンニバルは実際に人を「豚」と呼びますが、
貪りの塊を「食べて」しまうことで
美しくなかったものを美しく作り替える…
と考える異次元人はいるのかもしれません。

シーズン1:同じゲーム(世界)が見える者達の出会い

S1では、ウィルはハンニバルを人間の精神科医だと信じ、
ハンニバルに頼りながら犯人探しを始めますが、
やがて、ハンニバルが通常の人間ではなく
人間的な尺度での「善人」でもないことに気づきます。

ヒュー・ダンシーはウィルから見たハンニバルについて、
以下のように語っています。
「自分(ウィル)が優れたチェスプレーヤーだということは知っていて、
世界の中でチェスのルールを知っている唯一の人だと思っていた部屋に、
自分とは別の、同じように天才的なチェスプレーヤーが入ってきた。

その安堵と感謝と認識は強大」
「やった!会えたね、本当に会えたね!というような」

これは、マッツのハンニバルがウィルを見た時の
「(そこに自分を)見つけた!」「自分がいる!」
に呼応しています。

ウィルの側では、自分が見る世界(チェス・ゲーム)を
知って、理解して、共にプレイしてくれる唯一の人に
出会った絶大な信頼をハンニバルに寄せたし、
深い孤独から救われたような安堵があったわけです。
ハンニバルも、同じように「ウィルという自分」を見つけた。
ただ、その自分(ウィル)は、
本当の自己の姿にまだ気づいていないことがわかった。
だから、ハンニバルの
ウィルに気づきを与えるアクションが始まります。
(同時に、周りをうろつく無礼な「豚」も処理 … 😰)

シーズン2:ウィルのハンニバル化が進む

S2の始まりでは、連続殺人事件の犯人が
ハンニバルだと知っているのはウィルだけという状況で、
ウィルはハンニバルに陥れられ逮捕され
精神医療刑務所に収監されてしまいます。
脳炎も患い、記憶が曖昧になっていたウィルは
自分に起こった本当のことを思い出すと同時に、
かつての仕事仲間たちに、ハンニバルが犯人である証拠集めをするよう
依頼し続けます。
ここから、ウィルの覚醒が始まります。
彼は、自分がハンニバルにどんなゲームをさせられていたのか、
探ることから始めます。

ハンニバルの側から言えば、
ウィルが自分を捕まえる危険性を感じ、
かといって殺すことは忍びないほど愛情を感じ始めていて、
罪を着せてジャックに逮捕させる、という
手段に出たようです。
精神医療刑務所であれば、死刑判決は出ない。
ハンニバルはウィルをケージに閉じ込めたまま、
精神科医としてウィルに接触し続けられる、ということでしょう。

この荒療治もしくは計略により、ウィルは逆に、
自分のあらゆることに自信が持てなかった風貌から一変し、
ハンニバル同様、自分の一挙手一投足を克明に思い出し、
認識し、記憶するようになっていきます。
ウィルのハンニバル化が進むのです。

かつてのウィルがするはずのなかったことーーー
看護師として医療刑務所に潜り込んでいた模倣犯が
ウィルの信奉者なのを利用し
彼にハンニバル暗殺を吹き込みます。
自分の信奉者を利用して暗殺者に仕立て上げるのは、
以前、ハンニバルが使った手口です。
結局、暗殺に失敗しFBIに殺された模倣犯が「犯人」と判断され
ウィルは釈放されます。
そして、ウィルはハンニバルのカウンセリングを再開、
ハンニバルと対等な立場で対峙するようになります。

この段階で、ウィルとハンニバルの
互角の心理ゲームが始まります。
互いに互いを操ろうとし、また探ろうとしています。
と同時に、お互いの本質を知りたくて
それに触れたくてたまらないと思ってもいるようです。
(この駆け引きを演じ続けるマッツとヒューがただただ素晴らしい!)

やがてウィルは、ジャックにはハンニバル逮捕計画を持ちかけ、
ハンニバルに対しては、
犯人に気づいたジャックを殺し、二人で逃亡する …
ことに同意します。

S2最終話でウィルは、
ヒューがいうところ
「ハンニバルと一緒にバディ・コメディのようなものに参加する、というアイディアに手を出し、限りなく近づいたと思う。それがどんな夢であったにせよ、彼らは共に地平線の彼方へと出発するはずだった。自分の心の中でその夢が開花するのを許すことに最も近づいた瞬間だった」
にも関わらず、結局出発できず、ハンニバルも逃亡していませんでした。

ウィル「逃げてるはずなのにどうして?」
ハンニバル「君を置いては行けない」

この会話の後、ハンニバルに刺されてしまいます。
ハンニバルは涙を浮かべていたのですが、
刺された直後のシーンに関して、ヒューは
何テイクか撮ったうちの、上向きの表情で決意を示したい、
とブライアンに言い、それを採用してもらったそうです。
ヒューはそのシーンについてこう言っています。
「この最悪の状況で、ウィルはあることに気づく。ほんの一瞬だけウィルが優位に立つんだ。ハンニバルの鎧を射抜き、そのことを自覚させた。彼の胸のうちを見たからこそ、ウィルは血を見ることになった。ウィルは彼の弱みを見たんだ」
ブライアン「彼の胸の内にはナイフが … (笑)」
ヒュー「そうだね、文字通り(笑)」

(「刺す」ことのメタファーはちょっと置いておくとして)
今までは互角であって
決して優位に立つことはできなかったウィルが
一瞬だけ、ハンニバルの弱さに生の手で触れた。
ハンニバルが「自分のことを話す」という特別な贈り物を差し出したのに、
ウィルは裏切りで返した。
ハンニバルがそれを「ウィルの拒絶」と感じ、
彼の一番触れられたくない部分で強い痛みを感じていることを
ウィルは知ってしまった。
どうしたらハンニバルが本当の意味で痛みを感じるのか、を
彼を深く差し貫いたことで、このとき知った。だからこそ、
ウィルは物理的に刺された…。体内に物理的に刺し返された。
そういうことだったのでしょうか。

シーズン3:ドラゴン退治

S3は前に少し書きましたが、
一種の臨死体験から蘇ったウィルや
逃亡したハンニバルが、それぞれ
フィレンツェやリトアニアをめぐる話が続き
美しい映像美を堪能できます。
ムラサキ夫人の小間使いだったという日本人の
千代(TAO OKAMOTO)も登場し、
多国籍の香りが溢れるシリーズです。

ここでウィルは、
ハンニバルがこれまでどんなゲームをしていたのか、
今しているのか、これからしようとしているのか、
ハンニバルが見てきた世界、見ている世界を
ともに見ようとしています。
表向きは、ハンニバル逮捕のために、
ハンニバルの人生と逃亡先を知る旅に出るわけです。

S3 Ep2 AC で、ハンニバルの人生を辿るウィルに対し、ヒューは
「ウィルの探究の目的は曖昧だけど、それでいいと思った。
演じていて気付いたけど、なぜハンニバルを追うのか彼は分かっていない。
知る必要もないんだ。答えは見つけたときにわかるから。
ただウィルは探究を続ける過程で能力が試されることになる」

S3 Ep13 AC では、次のようにも語っていました。
「(S3の)第2話について話し合った時のことだ。
その頃は、禅の思想のような悟りがあった。
ハンニバルの追跡の結果がどうなろうと受け入れる、と。
彼を捕まえても殺しても、一緒に逃げても許してもいいと思ってた。
シーズンの終わりには、もっと深いレベルの同じような悟りを得た」


この螺旋状の悟りの深まりの内容について、ヒューが意図していたのは、
『茶の湯』のようなことかな、と思います。
何も考えず、ただその場に自分の身を置き、世界を愛でる、という。
恐らくヒューよりも、ウィルはもっと感覚的で超常的な能力を
持っているから…(と、ヒューは感じているのでしょう)
一切の作為(作意)を捨て、
ただその場を感じ取り受容すればいい、と。
流動的な多元世界を同時に感知できるウィルは、
ただそこにいて、すべてを味わえばいい、というような。

そんな境地に至っていたウィルは、旅の中で、
ハンニバルのお気に入りの場所に気づき、
ボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」の絵の前で
彼を見つけます。
絵の前に静かに座る二人から立ち上る香気は、
昨夜なにかあった?… としか思えない独特の婀娜っぽさがあり、
静かに交わされる何気ない会話すらゾクゾクしました。
とてもS2の最後で裏切りの死闘を繰り広げた者同士とは思えない……

ハンニバルもウィルも、
現実世界で繰り広げられる生々しい死闘とは全く別の次元で、
お互い深く求め合い、お互いの真実の姿を知ろうと
生の身体に(物理的ではないかも知れない、もっと深い=高い次元の身体に)
触れたくてたまらないもどかしさの中にいるように見えるのです。
ヒューは言っています。
「ハンニバルは(ウィルより)もっとコントロールしたいと思っているけれど、
実際はウィルと結びつくために全てを焼き尽くしても構わないと思ってる。
ある時点では、それがあなたの世界全体を覆ってしまうんだ。
それが性的なものだとは思わないが、正直に言えば、
それよりもっと大きなものだと思う」

これを仏教的に理解するととてもわかりやすくて、
真実の自己に出会ったなら、それと融け合いたいと願う…
そういうことなのではないかと思えるのです。
なまじ人間としての肉体を持っているから
むしろもどかしいくらい。

ヒューは、ウィルについて
「ウィルは精神的にはボロボロだけど、不思議と強さを感じる。
FBI捜査官としての経験があるからだろう。
それに彼には、苦しんでいる人に手を差し伸べて癒す力がある」

と評していました。
また「ウィルは受け身じゃない」と言い、ブライアンも
「ウィルが受け身だったことは一度もない。いつも計算してる」
というと、ヒューはあとを受けて
「その通りだ。彼は計算高い。受け身かどうかは関係ない。
それより現実的に考えて、
ハンニバルを出し抜ける人間がいるかどうかが問題だ」

(ともに S3 Ep13 AC)
だからこそ、ウィルはダラハイド(レッド・ドラゴン)を
利用しようとするわけです。

龍が宝を守るのは、古今東西変わらぬモチーフなのでしょうが、
龍退治をして、宝を取り戻す大仕事を二人で成し遂げるのが、
このシリーズです。
それを超えて初めて、二人が一つであり、
融けあうことができると告げているように思えます。

S3は、ハンニバル逮捕後は
多くは『レッド・ドラゴン』に沿っていますが、
ハンニバルとウィルの描かれ方はかなり違います。
この頃になるとウィルは、ハンニバルを操り、
レッド・ドラゴンを逮捕する(殺す)ためなら何でもするーーー
ハンニバルが自分に愛情を持っていることを利用し、
極めて甘えた表情で “Please” とお願いもしてみせるし、
本心がどこにあるのかわからない行動を取り始めます。
心の裡がダダ漏れに思えたS1のウィルとは別人です。

S3 Ep13 AC でブライアンは、
「彼はハンニバルがいても居なくても生きられない。
彼が犠牲になるしかないんだ。彼は全てを終わらせられるなら、
死んでもいいと思ってる」
と言ったのに対し、ヒューは
「僕の考えは少し違って、まだ死ぬことは考えていなかったと思う。
死ぬかもしれないとは思っていただろうけど、まだ覚悟は決めてない。
この時点(ハンニバルを利用しレッド・ドラゴンを逮捕する計画を
ジャックと練っている時点)では、無理心中は考えてなかったはずだ。
でも血が流れることは分かっていた。彼はそれを受け入れてるし、
むしろ望んですらいる」
ブライアン「彼は諦めてるんだよ。相手がハンニバルでは逆らえない。
状況をコントロールするのは不可能だ。でも彼には最後の手段があり、
それを選ぶことになる」
するとヒューは、
「こうも言えるんじゃないかな。ハンニバルの存在に関係なく、
自分は生きていて幸せか。それについてウィルには確信がないんだ」
とやんわり否定したのが印象的でした。

ヒューが言っていたことを思い合わせると、
ウィルは(すでに最終話近くになると)考えずに
最後の瞬間まで直感的に感じとった条件分岐で
ハンニバルのうわ手をいく方法を選び続けようとするようになっていた。
そして、このゲームでハンニバルがどうするのか、
(ハンニバルがいつも人を追い詰め、
どうするか好奇心を持って眺めるように)
興味を持つようになっていたのかも知れません。
ハンニバルがどんな手を打ったとしても、
ウィルはその場で、全能力を使い次の手を打つけれど、
この現実に留まり続けたいと強く願っているわけでもないから、
命を投げ出すことも、選択肢のうちに入っていた、と。

ドラマでは、映画や小説と違い、
最終的に、ハンニバルとウィルがドラゴン退治を成し遂げます。
しかしこの時も、
現実に起こっているのは、
ハンニバルがダラハイド(レッド・ドラゴン)を唆し、
襲われたウィルは、その場でダラハイドに
ハンニバル殺しを持ちかけて生き延びる … という
蠱毒作成法のような死闘です。

二点、三転した挙句、
ハンニバルとウィルが遂にバディ・コメディ(!)の地平に向かいますが、
彼らのひと時の休息地にレッド・ドラゴンは現れ、
ワインを手にしていたハンニバルを襲います。
その時、傍のウィルは、ワインを啜りながら
その様を眺めているだけです。
レッド・ドラゴンに襲われるハンニバルを
ただ眺めているウィル!
それはもうハンニバルの姿そのものと言ってもいい!
ハンニバルがこの後どうなるのか、
ただ、好奇心を持って眺めているだけなのです……..

ところが、レッド・ドラゴンは
翻ってウィルも襲います。
彼は別にウィルの仲間になったわけではない。
ここでは誰も仲間ではないけれど、
ここで初めて、ハンニバルとウィルにとっての共通の敵が
レッド・ドラゴンとなったのです。

お互い何も信頼してはいない状況で
どの瞬間もギリギリの選択でしかない。
見えているものは、そんな光景でした。

最終的に、龍退治を終えた二人は、
ボロボロに傷ついた血塗れの体で
お互いに抱き合います。
生存確認でもあり、
ハンニバルにとっては、初めて見せる深い安堵の表情で
ウィルを抱きしめていました。
初めてウィルが本性をあらわにし
思いのままにドラゴンを殺し尽くしたことに対する
喜びもあったかも知れません。
そこでハンニバルに見えていたのは、
悪魔の両翼を備えたレッド・ドラゴンのダラハイドではなく、
真のレッド・ドラゴンに生まれ変わったウィルだったのかも知れません。

ウィルは、ダラハイドを殺したことに対して
「素晴らしいよ!」と微笑んで呟き、
ハンニバルが言ったように、
殺すことに強い制圧感や快感を感じる自分を
はっきりと認めます。

だからこそ、
ウィルは甘えたようにハンニバルの肩にもたれかかったまま
思い切りハンニバルを抱き寄せると、
ともに崖の下へダイブしますーーー。

ヒューは言いました。(S3 Ep13 AC)
「ウィルがこうすることを選んだのは、恐怖のせいじゃない。
恐怖は二の次だ。自分とハンニバルは同類だと気付いたんだ。
血塗れて恐怖に震えていた彼が、突然、本当の自分に気づいた」

ブライアンの言う「自己犠牲」、ヒューの言う「無理心中」の
ウィルの最後の選択については、様々なことが考えられるのですが、
ベデリア・デュ・モーリア博士ーーー
ハンニバルのスーパーバイザーであり、フィレンツェへの旅の同伴者で
「妻」の役割を担ったこともあるひとーーー
の言葉を借りれば、ウィルは
「彼(ハンニバル)とともに生きられず、
彼なしでも生きられぬ」
わけですし、その時にウィルが返した言葉も
「それが僕のなるべき姿だ」
でした。敢えてその姿を選ぶ、と。

自分の中に何を見出しても、
ハンニバルはこの世界に置いておけない。
ということは、ハンニバルに成った自分自身も
この世には置いておけない。
ということなのかも知れません。
では、「置いておけない」と考えるウィル=認識主体は
誰(何)なのでしょうか?

もしかしたら、人間としての姿のウィルのかけら、かも知れないし
また別の何かーーー
次元を自在に行き来する大いなる存在の一部、かも知れません。

ブライアンは、S4について以下のように言っています。
「ヒューとマッツにS4の計画を話したら、彼らは有頂天になって興奮していた」

…… S4では、バディ・コメディのような必殺仕置人?が見られるのでしょうか?
二人が絶え間ない心理戦を繰り広げながら、
美しい世界を汚す「豚」退治をし続ける話であれば、
それは私が望んでいる MADS MAX なのですが。

テレビシリーズ『ハンニバル』の素晴らしさは、
カニバル・ハンニバルや猟奇殺人者が繰り広げる凶悪事件を解決する
特殊能力を持ったプロファイラー=ウィル(と仲間達)の話であると同時に、
西洋の古風なヴァンパイヤ映画のような、
時と次元を超えて生き続ける異形のものたちを語るホラーであり、また
ハンニバルとウィルとの homoeroticism 香る耽美な物語でもあり、
さらに、
肉体を超え、人間の善悪を超えた大いなる世界に通じる
真実の自己との邂逅を目指す龍退治の神話的な叙事詩でもあったことーーー

少なくとも私にとって、そんな風に豊かな多層を形成して
心に深く刺さったせいで、
DVDを買ったのに、オーディオコメンタリー欲しさに Blu- ray まで
買い直すほど、このドラマに熱烈に惹かれてしまったのでした。

※AC 以外のリンク付き引用文の和訳に関しては
Nori@Will_Lecter2013参考にさせていただきました。
Noriさん、本当ありがとうございました!


(アイキャッチ画像:購入した Blu-ray のカバー)

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