細田守監督『バケモノの子』とトンレン

『バケモノの子』を今頃見た

テレビで放送してくれたのを録画し、
今頃見ました・・・。

『おおかみこどもの雨と雪』が悲しい話だっただけに
(個人的な感想です。おおかみに気持ちが行きすぎて)
ずっと見るのを避けていた、細田さんの動物もの(…)。
でも、いや〜、良かった。

それで、以下ネタバレを含みます。


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勿論、絵はいいし、キャラは『西遊記』風で愉快だし、
ストーリーも言うことなしなのですが、
私が一番感動して、
こうして思わずブログにあげたくなってしまったわけは
「胸ん中の剣」です。
あ、これ、トンレンだ!と。

チベット仏教のトンレン

チベット仏教には、トンレンと言われる修行法があります。
慈悲の修行法で、自らの身に他人の苦を引き受ける瞑想法です。
→ 詳しくは、『チベット生と死の書』(ソギャル・リンポチェ著、
    大迫正弘・三浦順子 訳
、講談社、1995), pp 316-352.
→ 再版:『チベットの生と死の書 』(講談社+α文庫、2010)

これね、六道の苦しみを引き受けて・・・
なんていうけれど、もう生理的に無理!
と、最初は思っていました。
でも、なんで「無理!」と思うのかというと、
自我が強いから。
痛いこととか怖いことが嫌だ、と思う
自分が強くいるから。
勿論、この世で生きる以上は、ある程度皮膚に守られた自分、
というものをきちんと持っている必要はあると思うんです。
でも、過剰防衛はする必要がない。

また、私のように子供の頃に何度か手術などを経験していると、
無意識のレベルにメスなどの記憶が染み込まれていて、
何かが入ってくることに対して強い反応をすることが
あるかもしれません。
私の「無理!」の原因は、
恐らくそういったことにあるのかな、と
内省してみてわかりました。

そんなことを考えていたところだったので、
この『バケモノの子』は私にとっては
仏菩薩のメッセージのように思えたわけです。

チベット仏教のトンレンには
さまざまな修行法があるのですが、
その一つが、まさに『バケモノの子』に出てきた
「胸ん中の剣」。
勿論、チベット仏教ですから、
本当は、観音菩薩の慈悲を象徴した如意宝珠を
心の中に抱いて、
その光と暖かさで
苦しみや痛みといったものを融かす
のですね。

それでも、私にとって『バケモノの子』は
「熊鉄」という荒ぶる護法尊と
一体になって、胸の中に強力な
(宗師たるにふさわしい)慈悲の力を宿し、
恐れや苦しみや悲しみや劣等感の塊と化した一郎彦の
闇の力を空に融かした、
という話にしか思えなくて。
しかも、その後、淡々と人間としての
日常生活を送る姿がとてもいい♪

最初、蓮が闇を自分の空虚な胸の闇に取り込んで
抱え込んだ自分ごと死んで仕舞えばいい、みたいに
考えていたわけですが、
あれが、師匠のいない修行者の
陥りがちな過ちなんでしょうね。
恐らく、あれをすると
良くて自分の身が滅びるし、
悪ければ、闇に飲み込まれ自分も闇になってしまう。

私が恐れていたのは、こういったことだったのだと、
見ていて気づきました。
これはどちらも本当に怖い。

でも、それもこれも、
闇があると思う思い込みが前提にあるわけだし、
空性がベースになっていれば
そもそも「闇」すらないのだから、
頓着する必要はないんですよね。

ただ、頭で理解するほど、
心はわかっていない。
そんなときには、
やはり、熊鉄という荒ぶる豪快な
しかしとことんあったかい護法尊(付喪神でしたが)を
胸に宿して、
剣の形は取っていても、それはそれは暖かい
冬の日の暖炉のような聖なる炎で
一郎彦を傷つけることなく、
闇のみを空に融かしていくわけです。

ああ、トンレンは
ああいうふうにすればいいんだ、と。

なんとなく、
世界中に「ありがとう!」と言いたい気分に
なった日でした。

※ ゲーム制作は変わらず鋭意努力中!


(感謝! Džoko StachによるPixabayからの画像

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