初春の不思議な話

賞味期限の不思議…ではない話

立春ですね。
(書いているうちに2月5日になってしまったけれど😄)

久々にのんびりした土曜日だったので、
オーガニック素材のうえ、アルミフリーのベーキングパウダー入りの
パンケーキ用米粉(身体に良い〜♪)
ですが、昨年が忙しくてすっかり賞味期限を1ヶ月もすぎたので
(身体に良いのか〜??? ま、気にせず)
パンケーキを作りました。

やっぱり、たまにこういう時間を持たないと
人生が萎びる気がするわぁ〜。

100%メープルシロップをかけ、
ふんわり美味しくいただきました♪
1ヶ月くらい賞味期限を過ぎても、
ゼンッゼンだいじょうぶ♪

牡丹唐草の幻覚

年末に予定していた
・『知覚の扉 』(オルダス・ハクスリー/河村 錠一郎、平凡社ライブラリー、1995)
・『アマニタ・パンセリナ』(中島らも、集英社文庫、1999)

も、お正月休みに読了しました。

どちらもメスカリンを試していて、
青(色)がくっきり立ち現れる素晴らしいリアリティーに遭遇した模様。
特にハクスリーの描写は具体的で
色が絶え間なく湧き出るように見えるらしいことに感動と共感を
覚えました。

私は幻覚なんて見たことがない!… と思っていたけれど、
あ、それならあるわ、と。
大抵、徹夜明けの日などですが、
トイレのような個室に入ると
床の上に風紋のような、常に流れゆく模様が見えることがあります。
いつも緑と赤ーーーカーディナルレッドのような
濃い色味の赤で彩られた牡丹唐草模様です。
床上に敷かれた、さやさやと揺れ動くヴェールのようで、
一粒一粒が泉のように湧き出でて止まることがなく
美しくてずっと見ていたい思いに駆られます。

ハクスリーが書いていたのは
同じように見惚れるほど美しいけれど、
「現実=こちら側の世界」で見ると取るに足らない
ズボンなどの「襞」でしたが。

ハクスリーの結論は、
画家の目は、描かれた絵の通りに
(その色で、タッチで)見えているのだろう、と。
ゴッホ然り、です。

それで思い出したのは、ウィレム・デフォー主演、
マッツ・ミケルセンも神父役で出演した
『永遠の門 ゴッホの見た未来』(2019)
そこでゴッホは「自分が見えた色を伝えたい」
と言って「ひまわり」の黄色を描いていました。
(…だったと思う。)

メスカリンの力に頼らなくても、
備え付けでメスカリンの幻覚と同様の世界の見方ができる
芸術家たちが存在するのでしょうね。

脳内DMTが呼吸法や断食などによって
より分泌されやすくなることを思うと、
メスカリンと構造の似ているノルアドレナリンは
徹夜明け(睡眠不足)の状態の時に
視覚に対してなんらかの影響を与えるのかもしれません。

温泉童子?

このところ、DMT関連本を読み続けていたせいかもしれません。
何かの回路が開いたのか…

先日、温泉付きホテルに行ったのですが、
そこで、ちょっと不思議なことが起こりました。

私と叔母が大浴場に入りました。
幼い姉妹の先客がいて、
上のお姉ちゃんが6、7歳くらい。
下の女の子(次女)は4、5歳でしょうか。
二人は、浴場のヘリの、段差のある浅いところに
いました。
叔母が「あの女の子おし○こがしたいみたい」
と呟きました。
「なんでわかるの?」と私。
「前を押さえているから」
叔母は児童心理学の研究室で仕事をしていたこともあり、
小さい子供が好きです。
だから、仕草を見てすぐにわかるのでしょう。
私が姉妹に目をやると、次女は
お姉ちゃんのところにすりより、
こちらを見て、なんだかふや〜と笑っています….

いや、これはあれでしょ!
現在進行形ではなく、過去形でしょ!

そこへ、お母さんと弟らしき男の子が入ってきました。
マッシュルームカットのような髪型の男の子は
2、3歳くらいでしょうか、
浴場が嬉しいのか、とととっと駆けてきます。
上のお姉ちゃんが早速、
「お母さん、おし○こがしたいみたい」
と伝えます。

やってきたお母さんが、何か言ったかどうか
確認する前に長居は無用、と叔母を促し、私は浴場から上がり、
露天風呂の方に行きました。

次女嬢の照れ笑い(?)からすると、時すでに遅し。
拡散する前に遁走すべし、です。

露天風呂も、山を望んだ気持ちの良いお風呂でした。

しばらくすると、
くだんの親子が露天風呂にやってきました。
ここでも拡散、ということはないでしょうが、
私たちももうそろそろ上がろうと
露天風呂から出ることにしましたが、
階段と手すりのある場所に
あの親子がいて、お母さんの隣に男の子もいるので、
ちょうど道を遮る形になり、そこから上がれません。
私と叔母は仕方なく、
かなり段差のある手すりのない場所から
上がることになりました。

その日、夕食時に浴衣姿のあの親子とすれ違い、
次女は私たちの顔を覚えていたのか、
(お姉ちゃんに擦り寄る時、
私たちの方を見てニヘラ〜としていたので、
「バレちゃったかも」的な心の動きがあったのかもしれません)
「バイバイ」をしてくれました。
ついでにお姉ちゃんも。
私たちも「バイバイ」を返しました。

不思議な話、というのは翌日のことです。

チェックアウト時になり、精算を終え、
母や妹も一緒に
ホテルのラウンジで帰りのシャトルバスを待っていました。
あの姉妹も、可愛いワンピースを着てぬいぐるみを抱え
お母さんとやってきました。
「男の子がいないね」と叔母と話していました。
後からお父さんが乳母車を押してきたので、
そこにいるのかと思ったのですが、
乳母車の中は大きなぬいぐるみや荷物が乗っていて
男の子はいません。
「?」と思っていたら、
また別の、小さな子供が三人いるファミリーが
ラウンジにやってきたので、
このファミリーの方だったかな?と思ったのですが、
ここも男の子が一人いたものの、
真ん中の子で、妹と一緒に遊んでいたし、
5、6歳くらいの子でした。
私と叔母が見たのは、もっと小さな男の子です。
しかもお母さんは茶髪のボブで、記憶と違います。
私の母も妹も、昨日大浴場にいた姉妹は
最初の姉妹だし、お母さんも姉妹のお母さんの方、
でも、「男の子はいなかった」
と言っていました。

私と叔母は顔を見合わせました。

姉妹と両親はシャトルバスではなく、
車で帰って行きましたが、
小さな男の子を見てくれる祖父母がいた様子もなく、
結局その日、男の子の姿を見ることはありませんでした。

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家人にこの話をしたところ、
「他の人の子供じゃないの?」と言われましたが、
あの日、大浴場には私たちとその親子しかおらず、
男の子もお母さんと一緒に入って来た…
印象があります。
… 入り口から入った瞬間を見たわけではないのです。
姉妹に気を取られていたし、
お母さんが後から入って来たのを見た時、
男の子は、とととっと浴場まで駆けて来たのです。
今思えば、あんな小さな子が浴場で駆け出したら、
お母さんは普通なにか声をかけると思うのですが、
それもありませんでした。
尤も、お姉ちゃんの「お母さん、おし○こ…」の呼びかけが
インパクトが強過ぎて、それどころじゃなかったのかもしれませんが。
(私たちはそうでした。)

それに、夕食時にすれ違った時も
思い起こせば男の子はいませんでした。
「バイバイ」したのは姉妹です。

そう考えると、
露天風呂から上がる時、
お母さんの横にはあの男の子が陣取っていて、
階段の行手を阻んでいましたが、
お母さんは手すりに寄り添い、
手すりの向こう側の姉妹に気を取られていたので
(男の子は姉妹とは反対側のお母さんの隣に、
 立っていました)
ひょっとすると、
男の子側のお母さんの横は、
人が通れる幅だとお母さんは思っていたのかもしれません!?

もう一つ。
男の子だと、私も叔母も思っていますが、
私は、「男の子」である証拠を確認してはいませんでした。
裸ん坊で駆けて来たのですから、
当然、そこにも目が行っていたはずですが、
全く記憶がないのです。
記憶がないのに、「男の子」だと思い込んでいました。

・・・あの子は実在したのでしょうか?
いえ、あのお母さんや姉妹にも
見えていたのでしょうか?

私はこのタイプの体験は初めてですし、
男の子があまりにも実体だったので、
今でも、あの子は先に車に乗っていたのだ、
という気持ちがなくはありません。
ただ、2、3歳の男の子を一人、
先に車に乗せておくものかどうか。
姉妹は両親の目の届くホテルの玄関で遊んでいるのに…

あの子は、あのファミリーの子供かもしれませんが、
ひょっとしたら、と思うのです。
座敷童子ならぬ、大浴場童子、温泉童子だったのかな、と。

その日、私たちは
伏見稲荷に詣でていたので、
(「おもかる石」も持ち上げられたので!
 何を願ったかはナイショ♪)
何か、多次元の通路も開いたのかもしれません。

…… 今年は「多次元ポータル」がテーマかな? と感じながら、
2023年、癸卯歳が始まりました。

(感謝! アイキャッチ:RitaE/3041 image によるPixabayからの画像 )