チベット研究者にはプログラミング好きが多く、
学生時代にはチベット語フォントの開発者たちの開発現場でアルバイトをしていたので、
当時にあってはかなり先進的な環境にいた。
……如何せん、「猫に小判」とはよく言ったもの。
その頃の私は、俊英たちが夢中になっているMacや数々のプログラミング言語も、
現実生活の中では遠い星の話のようにしか聞こえなかった。
むしろ、目の前のチベット人高僧のほのぼのとした仏教の話や
生々しいチベット現代史を聞く方が面白かった。
私にとっては、それで良かったのだと思う。
それに、フォント作成のような(今考えると震えるほど素晴らしい!)作業も、
余りにも地味すぎて、その頃好きだったハイパーSFを思うと、
(申し訳なさに涙がこぼれるが…)SFに追いつけない現実にちょっとガッカリしていたのも事実だ。
当時、私はやっとチベット仏教の面白さに目覚めたばかりで、
漸く「修行者になりたい!」気持ちが芽生え始めていたが、
以前から抱いていたSF作家になる夢を(今書いていても恥ずかしいが…)、
まだ抱えていた。
USBメモリが一般化していなかった頃だったが、読んだSFをヒントに、
「麻雀の点棒をイメージしたバー(今でいうUSBメモリのこと)を壁に差し込めば、
壁に映像が投射される…」
ようなツールを使った、宇宙をまたぐ冒険活劇(…としか言えない)を書いていた。
当然のことだが、SF作家には成っていない。
文章を書きたい気持ちは、やがて特撮同人誌を作り始めたせいで、
次第にそちらに昇華していった。
紙面のレイアウトを考えたり、当時の出演者にインタビューしたり、写真を選んだり。
その頃、学術書の出版社でもアルバイトをしていたが、そこで学んだことを、
同人誌で試せるのも楽しくて、段々と小説にこだわる気持ちも無くなっていった。
だが、成りたいと思ったもののどれを選ぶにしても、それで生活することはできない。
チベット関係なら、なおさら難しい。
縁あって、全く奇特なことに「VBAを教えてあげるから来て欲しい」と言う職場に出会い、
さらに幸運だったことに、尊敬できる上司に恵まれ、Excel VBA が楽しくて仕方なくなった。
ボタンクリック一つで、何万件というエネルギー・データをあっという間に処理し、
望みのパタンのグラフなり、リストなりにまとめあげてしまうコードを書く面白さを、
そこで初めて知った。
私は高校時代、微積分は得意だったが数列が全くダメだった。
どっぷり文系の大学に受かったとき、「これで一生数列を解かなくて済む」、
と安堵したくらいだ。
それが、(微積分に絡むような数列ではないが)数列もなくてはならないコードを
毎日書くようになるのだから、
人生は本当に不思議なものだ。
その職場の上司という人は優秀なので、のちに外資系に転職してしまったが、
頭が良いだけではなく、教えることも上手くて、
この人が高校の数学の家庭教師だったら、私は絶対に数学が大好きになっていたに違いない、
と思ったものだ。
私の高校の数学教師は、
「数列はじっと眺めていればわかる」と言っていた。
天才的な頭脳の人だったようだが、
鈍才の私は、いくら数列を眺めていてもちっともわからなかった。
それが上司は、「そういうときには、実際に手を動かして、
泥臭く書いてみれば良いんですよ」
と言って紙に数字を書き、数字と数字の間隔を何回も計算して、解を得ていった。
……恐らく、この「泥臭い」方法も、私のために見せてくれたのだろう。
こういった「泥臭い」やり方を何度もなんども繰り返しているうちに、
私でさえ、
何となく「じっと眺めていればわかる」ようになってきたのだ。
そうか!
天才でないなら、「泥臭く」いけば、いずれ回路が繋がり道が出来る。
真に頭の良い人というのは、それがわかっていて、他人に伝えることもできる人なのか、と
そのとき痛感した。
その上司は仏教系の高校出身だったので、
高校時代に学校主催のダライ・ラマの講演を聞いたことがあるような、
仏縁のある人だったから、
私はこれも仏縁に違いないと思っている。
もう会う機会もないけれど、
私は、お師匠方と同じくらい、その人に出会えたことに感謝している。
→→→ ② へ続く